多良間島南北縦断

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多良間島滞在2日目は、島の北側の集落を出発し、中央をまっすぐ走って島の南端まで向かうことにした。

距離は4キロほど。
歩いても1時間はかからず、自転車ならずっと早い。

さとうきび畑が広がる中をのんびり南下し、ちょっと喉が渇いたかなという頃にでてきたのが、きれいに手入れされた芝生広場。入り口には「多良間自練」とあった。

自練ってなんだろう。
ここはドコモの電波が入ったのでGoogle地図で確認するとラウンドゴルフ場と書かれていた。

かなり広くて贅沢な場所だ。

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突如大きな音が聞こえたので振り向くと、多良間飛行場から10時台の飛行機が飛び立ったところだった。一日2便の飛行機、次は16時台だ。

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ほどなく、島をぐるり一周する外周道路の南端側にでた。
そこから海に向かう細い道の入り口に「宮古市の森」とある。

多良間は宮古郡だと思ったけど、なぜ宮古市?

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ちなみに、海に向かう道にはすべて名前がついている。
ここはタカアナ(イリタカアナ)トゥブリだ。

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舗装はされておらず、両脇に緑生い茂る小道。
そのトンネルのような道の一番奥に、海への出口が見えてくるとテンションあがる。

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何しろ輝くばかりの美しい青色なのだから!
波の音も聞こえてきた。

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そして突き当りが、多良間島の観光スポットのひとつにもなっている「報恩の碑」。

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はるか昔、1858年のこと。
岩手県宮古市の商船善宝丸が、江戸を出た後銚子沖で大嵐に巻き込まれ、75日間の漂流の末、多良間島の南端のここ高穴海岸に辿り着いたという。

島民は船長以下7名の乗組員を53日間手厚くもてなし、その後日本に送り帰したという。

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そんな江戸時代、まだここが琉球王国だった頃の出来事がお寺の古文書から判明し、宮古市民が「先祖に代わってお礼がしたい」とのことで、宮古市長などが多良間島にやってきて昭和51年にこの碑が建立されたのだという。

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宮古市からはその後も毎年、子どもたちが「交流学習訪問」として着ているようだ。記念植樹した木とプレートのセットがすぐ近くにいくつもあった。

「75日間も漂流して乗組員全員生き延びるなんてさすが漁師!」

と思ったけど、よく読んだら商船。
漁の道具もなかっただろうと思うんだけど、やはり積み荷の中に食べるものがあったんだろうか。だとしても全く陸地が見えないままの漂流は生きた心地しなかっただろうなあ。

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そして、船を降り、南国の美しいこの島の真っ白な砂浜に上陸した時はどれだけ感動しただろう。もちろん島民に受け入れてもらうまでは不安もいっぱいだったと思うけど、気分は竜宮城に連れてこられた浦島太郎だったんじゃないだろうか。

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ここの入江も息を呑む美しさだ。
天気悪く雲が立ち込めていたのにこの色。晴れている日だったら更に凄いことになっていたのだろう。

もちろん自分以外誰一人いない。

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こんな入江でぼーっと過ごせるのが、多良間島の最大の魅力かもしれない。

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しばし海を眺めた後、再び外周道路に戻り東側に向かった。
道沿いは防潮林。

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そして海へ通じる道の入り口にはトゥブリの名前を書いた標識が。

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集落を出た後は、ごくたまに車が追い越していくくらいで、歩いている人に会うこともなく、建物もほとんど見ずに来たのだが、島の南東部に大きな、今は使われていないらしい建物があった。

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なんだろうと思って建物前面に掲示されていた錆の入った看板を見てみると、なんと空港。今の新しい空港がXXXX年に作られるまで現役だった旧・多良間空港だ。

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滑走路だった場所は今は牛の放牧場になっているのか、円筒形の藁詰まった袋がごろごろ転がっていた。

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奥には太陽光発電のパネルも。
その手前には耕うん機が稼働しており、何人かの人が農作業をしていた。

実はここでとっても大事なことに気付いた。
南端のビーチでのんびりすごしていた時間、実は村役場隣のコミュニティセンターで人に会う約束をしていたのだ(島の人ではなく10時台の飛行機で着いたばかりの人)。

すっかり忘れていた上、集落を出た後はドコモ電波が入る場所が限られていたため、連絡にもまったく気付かずにいた。

ランチ時に会う約束をし、急いで集落へとんぼ返り。

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スーパーの並びにあるそば屋で昼食。
食事できるところは少なく、ここと居酒屋凪くらいだろうか。もちろん宿・ゲストハウスも食堂併設のところ多いので、事前にお願いしておけばいろいろ用意してくれると思う。

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そして午後はこの総会ちょっとだけ覗かせてもらった。

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おくなわプロジェクトとは、沖縄の離島5島(多良間島・渡名喜島・粟国島・北大東島・南大東島)が連携して観光促進・物産販売などに取り組んでいくという、2年前に始まったプロジェクトだ。

この日と翌日は5島の村長(うち1島は村長代理)が集まり、総会や勉強会が開かれていた。