名護屋城に芥屋ビーチの日没
キャンプ場の朝。バイク旅の醍醐味はやはり自由度の高さなんだけど、前回の北海道からキャンプ道具一式を積みこんで走るようになり、その自由度は増した気がする。
事前に宿をとっておかなくても、そして宿が逼迫する夏休み・お盆時期でも、最悪テントがあればなんとかなる。無理して走らなくてもいいのでその点では安全でもある。
まあ今回は九州暑すぎて夜も熱帯夜で、テント泊の翌日は寝不足気味だったという点では危険なんだけどね。
この日は撤収作業している際にちと大変なことが起こった。天使の一撃、つまりぎっくり腰だ。もともと腰痛持ちで身動き取れなくなる重度のぎっくりにもなったことある。今回は軽度だったが、何かを契機に第二波がくる可能性は大。荷物の上げ下ろしはもちろん、バイクのセンタースタンドを立てるのにもかなりの力を使う。大丈夫だろうか。
ちなみにこのキャンプ場は、玄海原発からも近い場所。
電話予約時に対応してくれた管理棟の女性スタッフ。到着時には既にいなかったので朝方料金を支払った。コーヒーまでいれてくれ、本当にいい人。
「温泉に行って、十分温めて!」と、私の腰も心配してくれた。
近くには白砂ビーチも。
波戸岬を含むこのあたり一帯は、玄海国定公園に指定されているそう。海中展望塔もある。
そしてこの岬エリア、豊臣秀吉が朝鮮出兵した文禄・慶長の役のベースキャンプ的場所だったそうで、至る所に全国諸大名の陣跡が点在する。夜にお風呂入りに行った国民宿舎もそう。
その中心にあったのが、豊臣秀吉が築城した名護屋城。行ってみると大きな博物館。
箱だけでなく、中身もすごい。
全国の諸大名がこの半島に築いた陣跡。
日本で教える歴史では、「文禄・慶長の役」「朝鮮出兵」となっているが、史実としては確実に日本による侵略戦争。国内の博物館でこう踏み込んだ展示があるのも珍しいが、逆にここまでが限度とも言える。
ここにも書かれているが、日本軍は戦功を示すため、片っ端から人々の鼻を削ぎそれを持ち帰った。恩賞の基準になったのだろうか。
その頃朝鮮半島は、文治の世界に入っておりそれゆえ日本軍の全土展開を許してしまったのだが、どれだけ残虐な民族とうつったことか。韓国側の博物館では、より詳細にこの時の被害状況が展示されている。
呼子朝市には、観光客の姿も多数。
イカしゅうまい。
巨岩が2本そそり立つ立神岩。風が強く大きな波が立っていた。
ぎっくり腰の余波は相変わらず続いており、バイク乗車時はいいのだが、降りると前屈み姿勢でしか歩けなくなっていたため、唐津市内から少し東に行った場所にある銀山温泉へ。
ここの1,080円の湯上り定食なるものを注文したらびっくり。刺身に天ぷらに焼き物も。これに茶碗蒸しとデザートまで付いてくる。ゴージャスだ!
唐津湾に面した海岸線には虹の松原。日本三大松原だそうだが納得。こんなに長い松並木は初めて見た。病虫害にも弱い松をこれだけ維持するのは大変なことだろう。
芥屋の大門は、生月島にもあった柱状節理の玄武岩洞窟なんだそうだけど、見るためには遊覧船で海から回り込む必要がある。
その遊覧船は海況で運行中止となっていた。そんなわけで見ることができたのはこの鳥居くらい。
何か謂れがあるんだろうけど、乗せすぎ。
走行距離はまだ短かったが、日帰り温泉でかなりゆっくりしてしまったこと、この先進んでも福岡市内のホテルをとるのは少々難儀なこともあり、この直ぐ近くの民宿に泊まることにした。
建物の前から電話して予約した民宿。女性1人で切り盛りしてるようで、この日の宿泊客は私だけだった。
すぐ近くには日本の水浴場88選にも選ばれた海水浴場。ちなみにこうした選抜、いろいろあるんだよね。何が権威あるのかよくわからなくなる。
ただ海の家の規模で見る限り、かなり人気の海水浴場なことがわかる。昭和な香りもする懐かしい海の家。到着時は若者グループで賑わっていたんだけど、民宿でお風呂入り、着替えてもう一度散歩がてらいったらすでに閑古鳥。
場所的に、福岡市内からの日帰り客が多いのかもしれない。
夏の終わりを感じさせる海。ちょっと切ない気持ちにもなる。ツーリングもあと数日で終わると思うと。