【番外編/10&11日目】西日本豪雨被災地の倉敷市真備町で災害ボランティア活動に参加
今回の沿岸ツーリングが10月と例年より遅くなった理由、それは7月に岡山・広島・愛媛はじめ西日本の広域で発生した豪雨災害だ。
2011年以来災害ボランティア活動に参加する機会が増え、今回も当初、沿岸ツーリングと災害ボランティア活動参加を同時に行えないかと考えていた。
結局、沿岸ツーリングとは別に8月21日から29日までピースボート災害ボランティアセンター(PBV)に参加し、倉敷市真備町でボランティアセンターサテライト運営のお手伝いをさせてもらった。
今回の沿岸ツーリングでも2日間だけ、PBV拠点に宿泊させてもらい活動参加することに。
驚いたことに、8月下旬にいたメンバーの内4人が今もずっと残って長期活動に従事していた。
一か月半ぶりの倉敷市災害ボランティアセンター。
ボランティアとして活動に参加する場合は、ここで受付をし全体ミーティングに参加し、チーム分けが行われバスで被災エリアへと向かうことになる。
PBV参加ボランティアはミーティング参加は必要なく、少し早めの時間に受付だけしてもらって現地へ向かう。活動時間がより長くとれるのでありがたい。
被災者からボランティアに頼みたい作業ニーズはまだたくさん残っているが、9月以降ボランティアの数は激減している。北海道の地震なども影響しているのだろう。さらに貴重な土日・3連休が台風で活動休止になってしまうという残念な事態も。
そんなわけで微力ながら自分もやれることを。
前回はボランティアセンターの前線基地「呉妹サテライト」の運営スタッフだったが、今回は屋内清掃のチームだ。
全員でコンビニによって朝食&昼食を購入。
私は毎回つぶあんぱんだ。
多数か所が決壊した小田川は、今も河川敷で工事が行われている。
1200ヘクタールが浸水し約4600戸が浸水被害にあった真備町では、亡くなった方も多い。
平時はこんなにも水量の少ない川が、本当に広大なエリアを水没させてしまった。この風景からは想像もつかないことだ。
右に見える高架は井原鉄道の線路。
前回来た時はまだここは復旧していない区間だったが、その後全区間復旧した。
その時のFacebookアカウント投稿には多くの「いいね」が集まっている。
まずは被災エリアの真ん中に設置された箭田サテライトに立ち寄って道具を受け取る。
PBVはベテラン多数なので、こういう時にとっても安心。現場状況・段階などに応じて必要な道具をさくっと見繕ろい、てきぱきと数をカウントし車に積み込んでいく。
時間浪費もなければ、道具が足りなくて現場であたふたなんてこともない。
発電機から小さなしゃべるまで何でも揃ってる。
現場に到着してびっくりしたことがある。
ここ、前回自分が毎日通っていた呉妹サテライトのすぐそばじゃん!
しかも!!!
ボランティア活動を終えた東京に戻った後、Facebookで友人たちに呼びかけ「被災者向けの情報発信コーナーを作るための連結式フォルダ」を約30人で共同寄贈したのだが、そのフォルダを使った情報発信コーナーのひとつがそのお宅のガレージに作られていた。
呉妹地区の地区社協会長の森本さんと。
冗談をばしばし飛ばす、本当に明るくてチャーミングな方。
この方がリーダーシップをとって、住民主導での地区復興が動き始めている。
前回自分が作ったびらも掲示されていてうれしい♪
この地区の家はすべて浸水してしまい、今も避難所やみなし仮設住宅、親戚宅などで暮らしている人がほとんどで、ご近所さんと会う機会もほとんどなくなっているそう。
それでも家を片付けにやってきた人同士が、ここでつかの間の会話をし、情報交換をする。そのために森本さんが作ったスペースだ。
この日のミッションは、土壁を落とすこと。
真備町では、土壁の家も非常に多く残っていて、かつ二階まで浸水してしまっているところも多い。
再建するためには、土壁を剥がし中の土も全部だし、床板を剥がして床下にたまった泥を書き出し、完全に乾燥させた後、内装をやり直す必要がある。
この家では、壁より先に床剥がしをやってしまっていたため、少々足場の悪い中での作業となったが、サテライトから持ってきた分厚い頑丈な板を床の角材の上に敷き、板を剥がし、中の藁混じりの土を書き出してゆく。
コツさえわかれば、それほど力が必要な作業でもないので、自分のような中年女性はもちろん、高齢者でも無理なくできる作業だ。
ちょっと難易度が高いのは、壁の高いところや押入れ・天袋の奥など。
脚立を使って慎重に作業を進めてゆく。
PBVでは各チームごとにタイムキーパーを決めており、30分経つと「休憩!」と大きな号令がかかる。そうすると10分休憩だ。
30分なんて本当にあっという間すぎ、「もう少し作業時間長めにとってくれたらいいのに」と思ったりもするが、やり始めるとついつい夢中になってしまう人も多いので、こうして強制的にこまめな休憩・給水時間をとるのは大事なこと。
自分は土壁の撤去はこれが初めてだったが、
角材の間に細い竹を交互に渡して土を詰めており、竹も何本かごとに紐で括ってあったり、角材に打ち付けてあったりして、そんな家屋の構造がわかるのも面白いもの。
最後はこんな状態に。
高齢の女性の家主さんは、「どうすればいいのか全然わからなかった」と何度もいい、こんな大勢のボランティアに来てもらい、助けてもらってどう御礼を言えばいいのかと繰り返していた。
大事なものをたくさん失い、かれこれ3か月以上も避難所やみなし仮設での不自由な生活を余儀なくされている。猛暑の時期も大変だったろうが、これからは寒い冬がやってくる。
心配事が途切れることはないだろうし、憂鬱な気持ちを抱えて日々を送っているのだろうが、こうして少しでも前進して「よかった」という前向きな気持ちになってくれるのであれば、微力ながらお手伝いした甲斐もあるというもの。
ちなみに、PBV拠点でヤッケを借りることもできたのだが、それだと蒸し暑そうだったので、100円ショップのカッパ上下。ヘルメット・長靴&中敷き・ビニール手袋・ゴーグルなどもすべてPBV拠点で借りたものだ。
なにしろツーリング途中なもんで(今回は完全手ぶらで来ちゃいました)。
箭田サテライトのすぐ横では、被災した店舗の前にプレハブを設置して営業再開しているパン屋さんも。以前と同じではないけど、それでもちょっとずつ元の街に近付いている。
きっと再開した店舗に久しぶりにやってきた住民の人達は、以前と同じパンが並んでいるのを見てきっと懐かしく思ったことだろう。
作業が終わった後は、皆で国民宿舎良寛荘の大浴場へ。
被災住民向けの無料入浴サービスとともに、ボランティアにも割引料金で利用させてくれているところだ。
高台からは倉敷市の湾岸エリアが一望できる。
拠点に戻ると、とっても嬉しいことが待っていた。
ボランティア向け炊き出しボランティアだ。
近くのカトリック教会が、「ピースボートで活動に従事しているボランティアさんの栄養のために」と、一週間に一度、料理を作って提供してくれているのだそう。
この日のメインは肉じゃが。
さらに枝豆ご飯、ピーマンとしし唐のマヨ醤油、柿なますなど、とにかく普段のコンビニ弁当では不足しがちな野菜と豆類をたっぷり使ったメニュー。
1人暮らしする大学生の息子の食生活を心配した母親が、田舎からやってきて作ってくれる手料理のよう。愛情を感じる。
肉じゃがも美味しかった。
誰かが誰かのためにとやってくれる行為。
それを受け取った側は本当に心がほっこり温まるものだなあと。本当にありがたい。
そして2日目。
この日は過去既に何日も活動をしてきているお宅で、かなり最終段階とのこと。なのでほうきやちりとり、歯ブラシなども。
断熱材をとめていたビスはずし、あと柱や壁などに発生しはじめているカビの除去が主な活動。カビが広がってしまわないよう、目立つカビは養生テープで剥がし、その後雑巾で丁寧に吹いていく作業を一日行った。
短い期間ではあったけど、私はここで離脱。
そして8月に呉妹サテライトでお世話になった、地元ボランティアのSさんに会いに。
その時に私がプレゼントしたパラコードブレスレッドをわざわざ付けてくれていた。うれしい♪
更にもう一人、今回お会いしたい方がいた。
Twitterを通じて知り合った、倉敷市に隣接する総社市の里山に住んでいる元家具作家の方。
真備町への物資支援を精力的に行っている人で、呉妹サテライトにも生活物資などを運んできてくれていた。
到着したのは既に真っ暗になった後だったが、奥様とふたり暖かく迎え入れてくれ、初めて会ったにもかかわらずいろいろなお話をさせてもらった。
帰る前には工房も見学させてもらった。
年代物のアンティークな機会も。
板を切ったり、厚みを揃えたりと、いろいろな道具が揃っている。
その後再び倉敷市に戻り、ずっと泊まってみたかった良寛荘に。
夕方急きょ電話して予約したのだが、ラッキーなことに角部屋のツインルーム。
そして大浴場も、誰もいない時間帯に入ることができた。
8月は本当に暑く、毎日夕方になると黒いTシャツに塩が線で浮き上がるほどの汗をかいた。
それでもここの温泉ですっきり洗い流せば気持ちもリフレッシュ。
倉敷市で8月下旬以降お会いしたたくさんの方々のことなど思い出しながら、のんびり湯に浸かった。
被災された方々が、一日も早く元の状態になるべく近い生活を取り戻し、「あの時は本当に大変だったよね」と家族や近所の人達と笑い合える日が来ますように。
>12日目「真っ青な空のもと「しまなみ海道」で瀬戸内海の島々を渡る!これはもー最高!」に続く
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