【18日目】阪神淡路大震災の「野島断層」、廃校利用で大成功の「野島スコーラ」
友人と宿の近くのファミマで待ち合わせ。
ここ五色町は江戸時代に北前船で巨万の富を築いた高田屋嘉兵衛の出身地。
たまたま先月受験した通訳ガイド試験でこの辺りを勉強していたところ。百姓の子供として生まれながら、雇われ船頭としてどんどん出世し実業家として大成功した立身出世の人物だ。
この日のルートも素晴らしく、ずっと海沿い。
沖合には小豆島も。
やってきたのは北淡震災記念公園。
阪神淡路大震災がおこったのは1995年1月17日。
自分は社会人二年目で、三連休を利用して友人の職場同僚の人たちとスキーに行っていた翌日のことだ。
震源地は神戸と淡路島の間あたり。
崩れ落ちた高速道路、大火災。生々しい映像が記憶に残っている。
死者数は6400名以上、淡路島でも多くの方が犠牲となった。
そして出現したのが「野島断層」。
震災ではこの断層に沿ったエリアで大きな被害が発生した。
復興によって地表に現れた断層のほとんどが整地されたが、大震災の記録として一部だけが保存された。それがここだ。
野島断層保存館。
入るといきなり衝撃的な展示が。
そしてこれが保存された断層の一部。
わずか10秒の間に、片側が盛り上がり、そして外側に引っ張られ、道路のアスファルトが切り裂かれた。
当時、テレビの映像でその裂けた道路を見た記憶があるが、実物のインパクトはまた全然違う。
地表に現れた野島断層は約10キロ。
道路はこのように裂け、道路脇の排水溝も大きくずれてしまっているのがわかる。
淡路島の棚田や一般家屋の敷地内も同様に、断層によって裂かれた。
生垣も保存されていた。
外から見るとかなり大きなスポーツ施設かと思うような建物内すべてが、この野島断層の保存館なのだ。
百聞は一見にしかずというが、確かにこれらの風景を見た衝撃はかなり大きかった。忘れかけていた大震災の映像などもよみがえってくる。
大都市直下型の地震のリスクを再認識する上で、貴重な場だろう。
他にも、神戸などでの火災・建物倒壊などの写真パネル、さまざまな資料が展示されている。
これも実際の断層の断面だ。
実際に見ることができるとは!
その断層保存館の先には、断層によって割れた民家の塀が。
これも震災の記録として保存されているもの。
この家は、建物のすぐ横の庭部分を断層が走っていた。
コンクリ基礎も一般の家屋の二倍とかなり強固な作りになっていたため、建物自体が崩壊せずに残ったという。
企業の保養施設かなにかだったのだろうか。
震災直後の台所を再現した展示などがある。
建物自体は壊れなかったが、断層の影響で傾いている。
断層の種類や仕組みなどを理解するための展示も。
地震体験コーナーでは、阪神淡路大震災、そして東日本大震災の実際の地震を体験することができる。
東京の防災館でも体験したことあるが、ここはダイニングやリビングの椅子やソファに座った状態で体験できるので臨場感がさらにあった。
あとで動画を貼り付ける予定。
隣接して物産販売の建物も。
淡路島に上陸したらぜひ訪れるべき施設群だ。
そこからも近い「野島スコーラ」。
友人によると、人口減少が続く淡路島では学校の統廃合もかなりあり、そんな廃校校舎を再活用した施設とのこと。
他の地域でも同様の試みはかなり行われているが、非常に成功しているケースなのだとか。
なぜかアルパカ。
そして見てお分かりの通り、平日にもかかわらず校庭にずらり並ぶ車。
小学校だったところだが、窓にずらりプランタの花を並べ、赤いサンシェードも取り付け、南欧風な明るい建物に。
一階の物販コーナーは、どの道の駅よりも賑わっていた。
さらにお洒落な高級レストランも入っている。
淡路島の復興の取り組みの一環だったとのこと。
テラスには海が見えるBBQ場も。
ここは本当にいいなあ。
今度改めて、大勢できてBBQやりたくなる。
淡路島滞在2日間。
大きな目的のひとつだった友人とも会うことができ、案内もしてもらい、本当に楽しかった。
ありがとう!!!
再びオレンジ色の器具でロックされ明石へ。
さあ、ここからだ。
元々の計画では、この後姫路まで走り小豆島へ渡る予定だった。
しかし小豆島行を見送り、四国に直接わたって徳島からなるべく早く東京行きのフェリーに乗ると決めた。
問題はどこまで行くかだ。
巨大台風の影響で前線が活発化し、明日には四国も大雨になる可能性があるという。神戸経由のフェリーで高松に到着するのは18時過ぎ。
高松に一泊するか、それとも先を急ぐか。
これまで、伊勢神宮のお守りを除くと一切お土産の類を買っていなかったが、淡路島で初めて購入したのがこれ。玉ねぎ。とっても甘いと噂、食べるのた楽しみだ。
そして神戸三宮フェリーターミナルから高松へ。
125㏄以下のバイク込で3,490円。
4時間以上かかる。
乗船してびっくり。
波がない穏やかな瀬戸内航路は違う。
平らな駐車スペースにサイドスタンドで停め、倒れないように先端を三角形にカットした木材を下に突っ込むだけ。ベルトでの固定などもない。
これだけなんだ!!!
フェリー内の売店では、うどんも提供されている。
客室への持ち込みは禁止されているが。
さっそくいただくことに。
島うどんという名前のもので、乗っているのは小豆島の醤油せんべい。スープを吸い込んでくしゅっとなっており、美味。
売店では、主に四国の様々なお土産物が販売されている。
その中で気になったのは、うどん風味のキャラメル。うどんだし入りとのこと。
ソファ席もあり、電源も利用できるのがうれしい。
さようなら、神戸。
一晩過ごした万葉倶楽部や、その翌日に朝食を食べた神戸ハーバーランドのお店も見えた。
たった数日前とは思えない不思議。
毎日全く違う環境に身を置いていると、一日前・一週間前のことがすごく昔のことに思えてくるものだ。
盛大に充電。
よく見たら座席の柄もうどん!!!
トイレ個室に入ってびっくり。
パンツを下すのもためらわれるほどの大きな窓。
双眼鏡があったら見えちゃうかも。
神戸─小豆島─高松間をつなぐジェノバライン。
ソファ席以外にもいろいろな部屋がある。大学生らしきグループは、カーペットの上に座れるこのスペースが好みのようだ。
トランプで盛り上がっているのかと思ったら、実は真剣にカルタをしているグループもいてびっくり。
女性専用ルームも。
コミックまで置いてある。
しかもなぜか花ゆめが多い。
こちらは「ゴザ」スペース。
他の場所にも、ゴザが丸めて箱に入れられていた。
繁忙期は座るスペースが足りなくなり、ゴザ敷いてごろごろという人も増えるのだろうか。
ゲームコーナーも。
もちろん外のデッキにも出ることができる。
私のバイクはこのひとつ下に停めてある。
トップデッキには謎のキャラ。
賢そうなワンちゃんも船旅。
見えてきたのは小豆島。
そう、今回はパスすることにしたが、ジェノバラインは小豆島経由なのだ。
明石大橋をくぐったあたりからずっと見えていた小豆島。
ずっと見えている割に、瀬戸内海は速度規制もあってなかなか近づかなかった小豆島の港の街並みが見えてきた。
上陸したかったけどそれは次回に。
今回同じ船で小豆島に向かった人たちも皆、台風の進路がとても気がかりなようで、船内でも「フェリーが欠航になったらどうするか」という話で盛り上がっていた。
どうせなら、真っ青な空の下、小豆島を走りたい。
私は次回の四国一周ツーリングの時にしようと思う。
台風の影響もあるのだろう、昨日同様に雲に覆われた瀬戸内海。
残念ながら夕焼けは見ることができなかったが、瀬戸内海ならではの穏やかな海に島々のシルエットという風景の美しさ。
そして高松港。
ここは、瀬戸内海の多くの航路の目的地となっていて、次から次に船が入港する。数年前ひとり旅行で高松を訪れたことがあったが、その時は港を見渡せるカフェでずっとそんな光景を見ていたっけ。
今回は実際に船に乗って港に入っていく側だ。
・・・なんて情緒にふけっている暇はない。
ギックリ腰でまだまっすぐ立つこともままならないが、
「台風より一歩でも先に」
を合言葉に、行けるところまでバイクで走ることにしたのだ。
正直、夜間走行自体が非常に苦手だ。
知らない土地の道を夜走るのは嫌だ。
ましてやギックリ腰で身体がものすごく不自由。
そんなこともあり、テンション最大出力にしないといけない。
トップデッキでウォームアップしながら、気分を盛り上げていった。
四国上陸。
高松市内を走り抜け、国道11号をひたすら東進。
途中からかなり暗い道になり、飛ばしまくる車も増え、さらに降水確率10%となっていたはずなのに、雨まで降り始めた。
聞いてないよ!!!
心折れそうになったらコンビニで自分に給油。
レインスーツも着込んだ。
徳島まであともう少しだ。
めげるな自分!
台風より一歩でも先に!!
そして約2時間、暗い道を爆走し徳島市内に。
アドレナリン効果だろうか、途中からギックリ腰の痛みは完全に消え、まっすぐ立てるようにもなっていた。
大事なのは失敗を繰り返さないこと。
バイクインストラクターOさんが、やはりロック外し忘れた経験と、それ以降、ロックとハンドルをロープでつないでいるという話を参考にし、私も「U字ロック外し忘れ防止策」を導入した。
・U字ロックは後輪のみに使う
・U字ロックとリアボックスをロープでつなぐ
・荷積みする前に必ずU字ロックを外す
そのためのリマインドロープだ。
茨城・鹿島港を出発してから18日目。
ついに最終地点の徳島だ。
長かったような、一瞬だったような。