<小型バイクでツーリング>東北太平洋側沿岸ツーリング記録

<小型バイクでツーリング>東北太平洋側沿岸ツーリング記録

<小型バイクでツーリング>東北太平洋側沿岸ツーリング記録

免許取りたて&バイク買ったばかりの超・初心者ライダー(♀44歳)が、赤いクロスカブ(110㏄)に乗って青森・八戸から千葉の自宅まで一般道を1200キロ、海沿い中心に走ってきました。
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津波被害と復興

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2011年、福島沖でマグニチュード9.0という日本観測史上最大規模の地震が起こり、津波によって沿岸の多くの街・集落が甚大な被害を受けました。震災以降ボランティア活動に参加するため何度か現地を訪れていましたが、今回はツーリングという形でそれらの地域を通しで走り、あらためて自然災害そして原発事故について考えることができました。自然脅威を実感する震災遺構、そして新しい街づくりに取組む復興地の風景を実際に見ることには意味があると思っています。


村の被害を最小限に抑えた普代水門

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一泊目の宿に選んだ「国民宿舎くろさき荘」がある普代村も津波による大きな被害を受けた場所ですが、その被害を抑えてくれた普代水門を道沿いに見ることができます。

●ヘルメットにGoPROつけ、八戸港から岩手県・普代村の黒崎灯台まで


巨大防潮堤が人的被害を拡大させてしまった「田老の悲劇」

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防潮堤は、高潮から集落を守り、津波被害を軽減させるための大切なもの。ただそれによって集落から水平線が見えなくなってしまい、また防潮堤があることによる安心感から逃げ遅れを引き起こしてしまうこともあります。そうして大きな被害となってしまったのが、万里の長城ともいわれた巨大防潮堤があった宮古市田老地区です。

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防災には「これが正解」というものがあるわけではなく、防潮堤の建設を巡っては2011年以降、全国各地で議論が起きています。ハードとソフト両面での防災が重要であるということを再認識させられる場所です。


復興事業に携わる人も長期宿泊する「ホワイトベース大槌」

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大槌町は、中心部の多くが津波で大きな被害を受けた町で、ボランティア活動でも何度も足を運んだ場所です。ツーリングの時には、新たに作られた仮設ホテル「ホワイトベース大槌」に宿泊させてもらいました。運営するのは町が出資して作った「復興まちづくり大槌株式会社」です。

●荒々しくも美しいリアス式海岸は初心者ライダーには厳しい地形だった~普代村から大槌町へ


復興商店街・大槌町「きらりベース」

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震災から年月が経ち復興が進む中、復興商店街も当初の役目を終えて閉鎖となっていく場所がいくつかあります。私が訪れた2014年にはほとんどがあり、中には津波被害で廃校となった小学校の校庭に作られたプレハブの商店街もあります。大槌町「きらりベース」は、小学校の校舎が一時期ボランティア宿泊拠点になっていたこともあり、よく居酒屋など利用した懐かしい場所です。

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土砂を運び込んでの地盤かさ上げ工事の様子です。
これがすべて完了したら、その新しい大地の上に新しい街が建設されてゆくのです。


陸全高田・奇跡の一本松

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震災被害と復興のシンボルともなったのが、津波で壊滅的な被害を受け市街中心部のほとんどが流されてしまった陸全高田市の「奇跡の一本松」です。2014年は大型ベルトコンベアを張り巡らせて近くの山から土砂を市街地に直送し、大規模なかさ上げ工事が進められていました。

●大槌町→陸前高田市間で土砂積んだ大型ダンプの濁流に翻弄される!


南三陸町の防災対策庁舎

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43名の職員が命を落とした、南三陸町の防災対策庁舎です。
赤い鉄骨だけが残された建物は、震災遺構として保存されることになり、現在はかさ上げが進んだ盛り土の間に残っているそうです。南三陸ホテル観洋に泊まると震災を経験したホテルスタッフがガイドする「語り部バス」に乗車することもできます。

●ツーリング4日目で"自分が走ってる"感覚に~気仙沼&南三陸町


日和山公園から見渡す石巻市

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旧北上川の河口に位置する石巻市は、高台となっている日和山公園によって区切られていますが、それより南側のエリアはほとんどの家・建物が津波で流され、2014年時点でも更地の状態になっていました。日和山公園は津波の時に多くの人が避難してきた場所でもあります。

●南三陸町で語り部バスに参加~三年半ぶりに訪れる雄勝&石巻


荒涼とした風景が広がる宮城県山元町~福島県の北部

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仙台空港の近くを通って宮城県南端の山元町に入ると、海沿いの風景はそれまでとは一変し、何もない荒涼とした一面の枯れ野原に。工事車両がひっきりなしに出入りする陸前高田や女川などとも異なり、静まり返っていました。


福島の帰還困難区域

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私が沿岸ツーリングをしていた2014年9月は、国道6号のうち福島第一原発に近い区間も含め全線自由通行となったタイミングでした。国道周辺の除染が終わり線量が下がったためでしたが、残念ながら通行できるのは窓がしまる車のみで、バイクはまだ通行禁止。浪江町などこの時はまだ広範囲で帰還困難区域・避難指示解除準備区域・居住制限区域となっていて、市街地の道路にはゲートが作られていました。

●9/15に全線開通となった国道6号、バイクで行けるのはどこまで?

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かなり広範囲にわたって除染活動が進められていて、至る所にブルーシートが敷かれ、その上に黒いバッグの仮置き場が作られていました。中に入っているのは削り取った表土や草、枯れ葉などです。

●南相馬からいわきへ!原発事故にともなう立入制限区域をぐるっと迂回して山道を走る