<小型バイクでツーリング>九州一周沿岸ツーリング記

<小型バイクでツーリング>九州一周沿岸ツーリング記

<小型バイクでツーリング>九州一周沿岸ツーリング記

バイク歴2年半の初心者ライダー(♀46歳)が、赤いクロスカブ(110㏄)に乗って九州へ!総距離3,000キロ以上。2016年4月の大震災&豪雨で被害を受けた熊本・南阿蘇へも足を伸ばし、海岸線を時計回りにぐるり一周してきました。
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雲仙普賢岳の平成噴火について学ぶ

勾玉のような形をした島原半島の海沿いを走り、島原市へ。
ここは熊本市内からもすぐの熊本港からフェリーを使えば30分くらいの場所。島も多くこうした大きな湾も多い九州は「海路」もたくさんあり、フェリーが日常の足にもなっている。

武家屋敷跡をちょっとだけ覗いて・・・

島原城へ。

そこから雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」へ向かった。
「がまだす」は、熊本・大分大震災で全国に知られる言葉ともなったが、「頑張る」という言葉。雲仙普賢岳の平成噴火の復興でも使われていた方言だ。

ここは非常に大掛かりな施設で、入場料もこういう施設としては正直ちょっと高いのだが(大人1人1,000円)、その分展示や設備は非常にしっかりしていて、勉強になった。

雲仙普賢岳の平成噴火は、40代以降の人間にとっては強烈に記憶に残る災害だろう。

●雲仙岳 - Wikipedia

噴火開始は1990年11月。翌年1991年に再び噴火し、5月には大規模な土石流が発生した。報道合戦も過熱化し、6月の火砕流では報道関係者16名、消防団員12名、そして火山学者やタクシー運転手、警察官などが犠牲となった。

1991年6月3日の大火砕流。
その時に犠牲になった日本テレビのカメラマンが直前まで撮影していたビデオカメラが、2005年に発見され、テープが復元された。その映像や、当時現場にいた人たち・関係者たちのインタビューがまとめられ、館内で流されていた。非常に重い内容だ。

マスコミ関係者が避難勧告地域内に入り込み、火砕流の撮影も可能な普賢岳の「正面」に陣取って迫力ある災害映像を求めカメラを回し続けた。そこは危険だと退避したメディアもあったが、結果としてメディアがチャーターしたタクシー運転手や、メディアが民家にも入り込んだためその巡回のため滞在することになった消防団、退避を勧告する警察官などが犠牲になった。この映像の中では報道行為が地元の人を巻き込んでしまった反省も流れた。

高熱で溶けたビデオカメラ。
よくこんな状態の中に十数年間もあったフィルムが復元されたものだと思う。

その中には記者やカメラマンの肉声も残っている。カメラマンの母親もインタビューで登場したが、これを見てどれだけ切ない思いをしただろうか。

すごいことに、ふもとの道の駅の一角には、土石流によって埋もれた家屋がそのまま残されている。火山災害の脅威を次世代に伝えていくための災害遺構だ。

家の中に流れ込んでいる大量の土砂。

被災家屋の数は11棟。
一階の屋根部分が現在の地面の高さと同じで、その一角のすぐ横には畑やビニールハウスもあり、穏やかな風景が広がっている。

ここのように、街自体が完全に復興した状態の中に存在する災害遺構というものを見たのはこれが初めてなのだが、まさに背筋が凍る思いをした。

そこか原城へ。
天草・島原の乱の最終局面で、反乱軍が立てこもった城だ。その後、二度とこのようなことがないよう徹底的に破壊されたため、石垣などもほとんど残っていない。

島原半島の西岸ツーリング。
海沿いの道は、ツーリングマップでも「絶景」とあったが、いやほんと最高に気持ちのいい海沿いルート。

記念すべき走行距離ゾロ目もここで迎えた。

脇岬港。
赤い橋を渡ったところは樺島だ。

長崎まで行く予定だったが、疲れもたまっていたのでここで民宿を予約し、最後に樺島灯台まで行くことにした。

樺島灯台公園。

民宿は海水浴場にあり、なかなか味わい深いところ。
素泊まりで2000円とリーズナブル。オーナーの方も非常に感じよかった。

宿に荷物だけ置いて、軍艦島も見えるという温泉施設「Alega 軍艦島」へ向かった。

夕陽、パームツリー、そして右端に見えるのが軍艦島シルエット。