<小型バイクでツーリング>日本海沿岸ツーリング

<小型バイクでツーリング>日本海沿岸ツーリング

<小型バイクでツーリング>日本海沿岸ツーリング

沿岸ツーリングもこれがラストステージ!小型バイク「クロスカブ」に乗って山口県下関市を出発し、日本海側の沿岸を東進北上し青森県八戸市まで23日間で3,714キロを走りました。
はじめに目的目的&計画宿泊装備タープ泊●ツーリング記録●総括●動画
トップページツーリング記録

【15日目】新潟市内に戻りイヨボヤ会館、こだわり建築のユースホステル宿泊

写真

佐渡ヶ島最北端の崖の上の斜面に作られた二ツ亀キャンプ場は、夕陽が見事なだけでなく、朝日も見れる貴重な立地。水平線近くの雲を輝かせながら朝日が昇ってきた。

両津港発6:10の佐渡汽船フェリーに乗るため、それをチラ見しながら大急ぎで、かつ静かに荷造りをした。

写真

バイクはキャンプ場から坂をあがったところにあるホテル駐車場に停めている。朝5時でまだ周辺のテントは眠りについているので、エンジンかけたバイクでキャンプ場近くにくるのは申し訳ない。

そんなわけで、途中まで必死に荷物を徒歩で運んだものの重さにギブアップ。

エンジンかけずにバイクで坂道を下り、荷物を積み込んだ後ぎりぎりまで押して移動しキャンプ場敷地から離れ、坂道でどうしても難しい場所からエンジンかけて走り出した。

写真

佐渡ヶ島北部東岸の道は、山と海に挟まれ、集落も少ない。
早朝なので車もまったく走っておらず、いつもよりちょっと飛ばした。

・・・というのも、実は結構ギリギリだったからだ。

写真

フェリターミナルでは、フェリー乗り込み口ぎりぎりにバイクを停め、誘導スタッフの方にチケット購入間に合ったら乗せて欲しいというと、わかったと。

写真

そのままヘルメットも脱がず、ヘルメットに装着したGoPRも録画停止せずだったので、こんな写真まで残っていた。いやー、真剣に焦った。

写真

そして無事乗ることができた佐渡汽船おけさ丸。
ちなみにこの航路は「国道350号線」だそう。

●国道350号 - Wikipedia

写真

早朝便だったせいか、バイクは自分だけ、車もほとんど乗っていなかった。

写真

そして再びの新潟市内。
佐渡ヶ島からくると、突然の大都会で目がくらむ。

写真

Facebookで知人から「北方文化博物館」をおススメされたのだが、かなり内陸部にあって時間的に厳しかったので、市内にある「北方文化博物館新潟分館」を訪れた。

北方文化博物館 新潟分館は、明治末期に北方文化博物館の七代目伊藤文吉氏が取得した建物で、この中の洋館に、歌人・美術史家・書家として名高い會津八一(あいづやいち)がその晩年を過ごしました。現在は博物館として、八一の書や資料、良寛の書を展示しています。 (平成12年4月 登録有形文化財に登録)

●新潟市:北方文化博物館・新潟分館

写真

昔ながらの、そして細部までこだわった設計の日本家屋。庭も見事だ。開館をまって一番乗りしたもので、おっとりとした雰囲気の年配女性スタッフが、電気をつけてまわりながら、簡単に案内もしてくれた。

写真

この建物にくっつく形で洋館も。
洋館は、早稲田大学名誉教授でもある會津八一先生が戦後10年間を住んだ場所で、写真や年表、書などが展示されていた。

写真

砂利石を池に見立てた庭。

写真

真夏のツーリングで大事なのは、定期的なクールダウン。
幸い、イートインコーナーがあるコンビニが増えているので、そこで冷たいドリンクを飲みながら、地図をチェックしこの後の行程で立ち寄るべき場所をリストアップする。

今回、「ツーリングまっぷる」デジタル版にしてしまい、目当てのページを開くのに毎回余計な時間がかかるので、地図番号をメモ帳に書き込んでいたのだが・・・

写真

なんと!!!

メモ帳の上1/3くらいの文字が、どのページも消えてしまっていた。

消せるボールペン「フリクション」だからだ。60度を超えると消えるインクなのだが、まさかそんな気温にさらされることはないだろうと舐めていた。

確かに焼けるような暑さではあったが、ウエストポーチに入れていた手帳の文字がまさか本当に消えるとは・・・

写真

ちなみにサングラスも、佐渡ヶ島での荷造りのバタバタの中で押しつぶされてフレーム割れてしまった。

島根半島で持参したサングラスを落とし、境港で買ったばかりのもの。使わないと強い日差しで目が痛むし、買い換えるのも悔しいので、養生テープで貼りつけて直す。

写真

まあ、大丈夫だろう。

写真

沖合に海底油田の採掘基地が見える胎内市の荒井浜。

写真

砂が蓄積した道を走るのにも慣れてきた。

写真

新潟の海沿いの道はやはりまっすぐなところが多い。開けた風景。

写真

村上では、イヨボヤ会館に立ち寄った。
看板などには大きく「日本で最初の鮭の博物館」とあった。ということは、今はいくつもあるのだろうか。

●イヨボヤ会館 - 日本で最初の鮭の博物館

「イヨボヤ」とは、村上地方の方言で鮭のこと。
市内を流れる三面川(みおもてがわ)は、江戸時代に村上藩士だった青砥武平治が、サケの母川回帰習性を利用し、日本でいや世界最初のサケの自然ふ化増殖に成功したところ。

写真

入口のショップで売られていたお土産がなかなかかわいい。

写真

一年間軒先で干した鮭。

写真

サケの生態や、稚魚育成・放流などの解説も。

写真

実際に、この施設で生まれたサケの稚魚たちも見ることができる。

この子達が将来大きくなって・・・おいしい焼き鮭になるのか。

写真

この施設のすごいところは、「種川」(三面川に人工的に作った支流)の川の中を施設内から見学できることだ。

写真

これがその場所。
半地下のような建物になっていて、ガラスの向こうは種川だ。

写真

窓の外はこんな風景。

写真

泳いでる!!!
海中公園で海の中を窓越しに見たことはあるけど、川はここが初めてだ。

写真

写真

隣はサーモンハウス。
お食事処でも鮭がいただける。

写真

残念ながら昼の営業時間に間に合わず入れなかったお食事処「悠流里」。

写真

三面川は浅く、川幅はかなりあるのだが、真ん中あたりで人が釣りをしていた。

写真

ふたたび海沿いの道を走る。
お盆ラッシュが始まっているのか、沿岸の道の車の量も増えてきた。

ただ信号もないので渋滞要素は少なく流れてる。というか、車間距離かなり詰まっているのに60キロとかそれ以上で流れてるから正直ちょっと怖い。そこに海水浴場からヒョンと出てくる車があって急ブレーキとかかかるし。

写真

JR桑川駅に隣接した道の駅笹川流れ(夕日会館)。ここでランチと思ったのだが、残念。ここもランチタイムが終わり準備中の看板がでてしまっていた。

どうしても食べそびれてしまう日ってある。

ちなみに「笹川流れ」とは、岩場が独特の景観を作り上げた海岸のこと。遊覧船もでており、特にサンセットが美しいそう。

●笹川流れ|新潟の観光スポット|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビ

写真

岩場が非常に多いため、海岸は砂浜の奥行きもかなり狭いのだが、お盆休み中ということもあるのか、海水浴客でごったがえしている場所が多かった。

陸側もすぐ山なので空き地が少なく、路駐いっぱいで人も飛び出してきてちょっと危険。

写真

このあたりは、狭い砂浜にテントやパラソルがびっしり立ち並ぶ海水浴場だらけ。人いっぱいな割に海で泳いでいる人は少な目で、みんな何をしてるんだろう???暑すぎて日陰から外にでていく気分じゃないのかな?

写真

そして新潟と山形の県境を越え、ここから東北!

写真

次第にそんな砂浜もなくなり・・・

写真

なかなか険しいワイルドな海岸線に。
そしてここで気付いた。

写真

うおーっ!!!!!!!!!

30,000キロ地点を完全に見逃してしまっていたよ~!

毎回、ちゃんと停車して記念写真も撮っていたのだ。
悲しすぎる。

でも宿でヘルメットに装着したGoPRO写真を一枚ずつ見返していたら。

写真

ちゃんとありました!

写真

総走行距離30,000キロ地点でのメーター写真が。

しかも路肩に停車している。
何故この時に気付かなかったのか・・・。

写真

そして、山形県鶴岡市の「つるおかユースホステル」へ。
海沿いの道から少し入り、樹々に覆われた山の中に佇む・・・

「廃業したかつてのリゾートホテル」

風な建物(すみません)。

ここ、玄関の灯りがついていなかったら「本当にここでいいのか?」と入るのすごく躊躇したと思う。

バイク停めた場所には、頭上の木から次々毛虫が降りてきたし、外壁もはがれまくりで。そして中に入ると猫が紐でつながれて鳴いている。

そしてフロントでどれだけ呼びかけても誰も出てこず。厨房覗いても人の気配なく。

「なんなんだここは」

とドギマギしていたら、サンセットを見に外出しようとした宿泊者の男性が現れ本当にほっとした。

写真

一瞬廃墟に見える外観からは想像つかない建物内。

ユースホステル風では全くなく、高い天井の吹き抜け空間、大きな窓ガラス、天井から吊り下げられた照明にグランドピアノまで。

森の中の高級ホテルという感じ。
階段を上ったところが段々になって扉があるが、それが各客室の扉だ。

写真

まあ部屋の中はがらり雰囲気かわるけど。

ここ、てっきりホテルがユースに転換したのかと思ったらそうではなく、ユースホステル全盛期の頃、有名な設計家に設計してもらって作ったものだそう。

なので各部屋はもともと四人部屋で、二段ベッドが二つずつ入っていたそうなんだけど、今はそれが二人部屋になっている。

空き室が多いので、今回はここを一人で利用。

あと冷房付きの部屋が埋まってしまっているそうで、扇風機だった。コンセントもさして使えるところとそうでないところがあり、いろいろ老朽化しているようだ。

写真

夜もこだわりのディナー。
肉類を一切使わないヴィーガン料理。

手前の茶色いものは、厚揚げを濃いめに味付けしたもの。砂糖も確か何か特別なものを使っていたと思う。ご飯は玄米、スープも化学調味料一切使わず、野菜の本来の味と塩で。

どれも美味しくいただけた。

写真

まさかのメロンまで!!!
買ってきたオーナーさん曰く、思ったより高かったのでみなさんラッキーですとのこと。

写真

各部屋は、階段をいくつも挟んだ通路沿いに作られている。これは部屋掃除するにしても、家具の入れ替えなどをするにしても大変な構造だなあと。

建物としては非常にユニークな構造だけど、維持運営を考えると非効率な作りかもと思った(大学時代にバイトでホテル清掃とかやってたので)。

写真

昭和時代のユースホステルと言えばこれ!という封筒型のシーツも用意されていた。過去、北海道や九州の沿岸ツーリングでも何度かユースホステルは泊まっているけど、これ実物を見るのも使うのも初めて。

なかなか経営は厳しいとオーナーさんが話していたが、こんな素晴らしい建物のユースホステル。
どうかもっとたくさんの人に知られ、ずっと残ってほしいと思う。