【21日目】念願かなって下北半島!恐山で地獄めぐり&温泉♪
朝目覚め、テントのジッパーを開いて外界と対面する瞬間。
そこに海が広がっていて、自分のバイクがちょろっと見えていたりするともう最高だ。
なんだか赤味を帯びていて夕陽のようだけど、これは朝日。
夏泊半島の先端で北側なので、東側にも海が広がっているのだ。日本海沿岸ツーリングの途上、キャンプ場から日の出が見れた場所は他には佐渡ヶ島の最北端くらいだ。
そしてツーリングも残すところあと数日。
キャンプはこれが最後だろう。そう思うといろいろ名残惜しくもなる。
今回は本当にキャンプ頻度高かった!
なんでも繰り返しているといい意味での惰性化するもので、今回は一日置きくらいでテント泊なので、設営時も寝る時の準備も、あと起きた後の撤収作業もとってもスムーズになった。荷物を並べる順も決まったので暗い中で探すこともないし翌朝も動きに無駄がない。
これが、今までみたいに3、4日に1回だとあまり手順が定まらないままなんだよね。多分自分の中で、これがレギュラーな状態なのか、イレギュラーな状態なのか、認識が変わるんだろうな。
ちなみにバイクのリアボックスは、パソコン作業をする際に机にもなる。まあ日陰じゃないとディスプレイ反射しちゃって見づらいので、滅多にやらないけど。
朝からファミマの担々麺。
台風用に備蓄した食料は、だいたいこの場所で食べつくした。
実をいうと、津軽半島と下北半島は知っていたが、その間にちょこんと飛び出した部分に「夏泊半島」なんていう名前がつけられていたことすら、今回初めて知った。
集落もほとんどなく、海沿いの道を走ると割と短時間でぐるっと一周できる大きさ。
今回利用した「椿山キャンプ場」は、無料にもかかわらず非常にきれいな施設で、人気もあるところのようだ。椿山海岸は、椿の自生北限とのこと。
キャンプ場から東側もずっと海岸線に沿って道が作られている。昨日、台風後の強風と白波がまるで遠い昔のことのように思える穏やかな陽気。
数字が写ってなくて何度だったか忘れちゃったけど、朝から少しひんやり感じており、太陽がのぼっても気温はそれほど急上昇はせず。
お盆すぎればもう夏も終わり。
わずか2週間前の、ただ立っているだけでデニム越しに太腿がチリチリと焼かれ、汗が流れ落ちてきた猛暑の日々が嘘のよう。
常夜燈があるということで立ち寄った野辺地町の常夜燈公園。それよりもっと目を惹くものがあった。復元された北前船みちのく丸。
昨年からここに常設されているけど、何度も陸奥湾を帆走し、NHK大河にも出演したそう。びっくり。
こちらが常夜灯。
北前船のインパクトが大きすぎて地味に感じる。
昨日のキャンプ場で色々教えてくれた、鹿島出身で今は青森在住の女性に「下北に行くならとにかくガソリンスタンドへはマメに寄ってけ。メモリ残っていても入れろ」と言われたので早速アドバイスに従って。
といっても実際にはカラカラだったが。
むつ市内でもセルフがあったら注ぎ足ししておこう。
遂に下北半島!!!
今回の日本海沿岸ツーリングの最後の大物目的地だ。
大学に入って世界旅行研究会というサークルに入った後、よく「下北合宿」の話を聞いた。夏合宿は毎年、テントを背負って食料をもって一週間ひたすら歩き続けるという合宿をするサークルだったのだが、私が入会した前の年が下北半島だったのだ。
なかなか荒っぽいルートだったようで、大雨でテントも寝袋もびしょぬれになった話や、さらには朝食用の食パンまでもが水に浸かってしまい悲惨な目にあった話など聞いたっけ。
下北半島で最初に立ち寄ったのは「道の駅よこはま」。
地元出身の人の情報によると、「よごはま」と発音するとのこと。
入口には恐山に行く時のアイテムが販売されていた。
草履と手ぬぐい。あとろうそくにお線香、カラフルな風車も。
何も用意してこなかったけど・・・買ったほうがいいんだろうか?
名物は菜花ソフト。
千葉の民としては買わざるを得ない。
ちなみに黄緑色のソフトクリームには菜花の若芽を練り込み、菜花ハチミツを使っているそう。若芽の味はわからないけど、ハチミツはわかる。
竜飛岬以降、海沿いではずっとほたて養殖用と思われる漁具や建物を見てきたが、とりわけこのあたりがほたて養殖盛んな場所らしく、ここでもほたてがたくさん売られていた。
ひももこれだけ入って400円。
日本一周中と書かれたリトルカブも発見。
QRコードをつけておくの、いいなあ。さっそくフォロー&いいねなどしておいた。
とっても小さなJR大湊線の駅。
大湊線は11駅だけの短い路線で、JR東日本の中で唯一自社の他路線に接続していない飛び地路線なんだとか。
途中から、対向車線で車がよく団子状になってやってくると思ったら、お祭り用の大きなねぷたの移送中だった。
いや、ねぷたじゃないか。
むつ市で18日から20日まで開催される「田名部まつり2019」の山車だ。
●青森県むつ市「田名部まつり2019」開催 │ 青森 オンライン最新情報
そして見えてきました、恐山!
山の名前は釜臥山で、下北半島最高峰。
頂上に見えている白い建物は自衛隊のレーダードーム。その少し右側のほうにあるのが展望台。
林の中をひたすら登っていく。
これが青森のヒバの林なのだろうか。
清涼な空気だ。
外気温も数度下がった気がする。
恐山冷水。
ここがどうやら霊場恐山の入り口らしい。
よく冷えた湧水で、これを1杯飲めば10年、2杯飲めば20年、3杯飲めば死ぬまで生きると言われているって、そりゃ死ぬまで生きるよね誰でも。
ひとり、湧水の流れ落ちるところにしゃがんで、何やら作業している若い男性がいるので「清掃のボランティアかな?」と思ったら、一生懸命ひろってビニール袋に入れているのは小銭。
それも一個一個確かめて拾っているので、1円・5円は省いているらしい。まるで銀杏拾いのようだ。
残念ながら展望台への道は通行止め。
天候不良なことは一切なかったのだが、台風の影響だろうか。
さらに進んでいくと・・・
突如漂ってきた硫黄の香り。
バイクを降りて入って行ってみると、水の流れは硫黄でクリーム色になっている。この奥には三途の川と名前がついた川も。
火山の爆発によってできた宇曽利湖(うそりこ)。
太鼓橋。
そして日本三大霊場のひとつ恐山。
名前が怖いが、宇曽利湖の「うそり」がなまってつけられた名前らしく、そもそもはアイヌ語からきているのだとか。
お盆期間中ということで観光客で大賑わい化と思いきや、おどろくほど閑散としている。よく考えたら「お盆だから亡くなった人は家に帰ってきている」ということなのかも。
お寺の正式名称は菩提寺だ。
慈覚大師円仁が開山。
歴史感じる木造の建物の中ではイタコの口寄せが行われている。
さらにその奥に温泉。
温泉があるのは知っていたが、まさか境内の中とは思わずタオルを持参し忘れた・・・
下見ということで女性の浴室に入ってみると、ヒスイのような色をした長方形の湯船。とっても素朴な昔ながらの公衆浴場だ。これはタオル持ってきて絶対に入らねば。暑いけど・・・
ここが本殿だろうか。
そのさらに奥へ行くと、いわゆる「恐山」で多くの人がイメージする荒涼とした風景が広がる。
至る所から硫黄泉が湧きだし、岩のスキマから蒸気が立ちのぼり硫黄の香りが充満する「地獄」だ。
「重罪地獄」などさまざまな地獄の名前がつけられている。
ガスが噴出しているのか高温なのか、理由は不明だが、特に危ない場所は「危険」看板がたてられロープで封鎖されている。もしかしたら歩くと靴の裏が熱で溶けるのかもしれない。
蒸気が噴き出している岩の周辺には、淡く光る黄緑色の硫黄成分が付着している。うっかり触りたくなってしまうが、もちろん手を近づければ火傷しかねない。
ちなみに台風の後のせいだろうか。
風車はあまりなかった。
この大師堂の周辺に少し固まってあった程度。
そして石を積み上げた場所は至る所にあった。
六角形の賽の河原地蔵堂。
この中には、亡くなった家族の遺品とともに、メッセージが書かれた手ぬぐいがたくさん並べられていた。
大切な人を失った人の悲しい思いが伝わってくる。
周辺の樹々にも草履と手ぬぐいが。
そんな荒涼とした「地獄」風景を抜けると、突然現れるのがまるで南国沖縄のビーチのような美しい宇曽利湖。
ここが地獄と対比される「天国」だ。
とはいっても硫黄成分も大量に流れ込んだカルデラ湖で強酸性なので、生息できる生き物はほとんどいない。ウグイだけがいるそう。
ツーリングで来ている人は結構多かった。
タオルをとってきて・・・
温泉♪
汗も流せたけど、あがった後にさらに倍くらい汗をかいた。
ランチに海自カレーを食べようと思ったむつ市内の駅前食堂は残念ながらタイムアウト。
港近くに大量に積み上げられた青森ヒバを眺め・・・
白いドームを通り過ぎ・・・
海上自衛隊の大湊地方総監部。
時間がなかったので建物内には入らなかったが、隣接する石造りの洋館「北洋館」1916年に海軍士官の社交場として建てられたものだという。
サンマモルワイナリーには、なにやら特定の車の愛好者たちのドライブグループが訪れていたようで、私が訪れた時にはちょうどその車が一台ずつ出ていくところだった。
中ではワインの販売が行われている。
試飲することもできないんだけど・・・
ソフトクリームが美味しかったので大満足!
そして海沿いの道を走る。
斧のような形をした下北半島は、いくつも先端がある。宿泊予定は脇野沢というもっとも西にある集落。
むつ市中心部から脇野沢に向かうちょうど途中あたりにある川内町というところが、イベントなどでもよくご一緒させてもらっている友人の出身地で、せっかくなので立ち寄ってみた。
ここはむつ市川内庁舎に隣接する「むつ市海と森ふれあい体験館」。残念ながら休館日だったが、上に上がると見晴らしがいいらしい。
友人の実家は、ここからさらに内陸部に入っていった山間の小さな集落。今は市町村合併でむつ市になっているが、当時は村だったとのこと。
冬はきっと雪で真っ白に埋もれるのだろう。
友人は、高校から家をでて高校は大きな町に寄宿か下宿して通っていたのだそう。そして東京の有名大学に。
本州のみちのくのまた奥から本当にすごいことだなあと改めて。
再び海沿いの道に戻り、沈みかかった太陽を追いかけながら西へ。
脇野沢の沖合に浮かぶ鯛島。
確かにそんな形をしている。
脇野沢ユースホステルの宿泊者は自分一人だった。
丁寧に作られた夕食、どれも美味しい。ほたてもたくさん。
部屋もなかなか味わいのあるところ。
4人部屋でベッドが左右に2箇所ずつあり、奥は畳であがれるようになっている。
贅沢にひとりで使わせてもらった。
さあ、明日は大間だ大間のまぐろだ!!!